『ダイナミック・ケーパビリティ』という言葉があります。

変革を成し遂げる行動力とでもいうのでしょうか。

 

今は、時代を乗り切るためには、まさに「知識で論理を語るより、失敗しながら、未知の事柄を探りながら、解決の知恵を身に着ける」ことが大切なのでは

ないでしょうか? それなら私にもお伝えできることがたくさんあるのです。

 

今回、ナレッジ・イノベーション研究所の、リスキリングプロジェクトリーダーをお引き受けしたのも、これまで自分が過ごしてきた3つの時代に、顧客とともに

行動し、支援してきた事柄が、まさに『ダイナミック・ケーパビリティ』の行使 そのものだったと信じているからです。

この3つの時代を振り返ってみます。

1.イノベーティブ企業で未知の実務の面白さに、我を忘れて挑戦しました。

仕事が面白い、チャレンジして失敗しても怒られない!

 開発したいテーマがあれば、手を挙げてビジネスチームを立ち上げられる!

新卒で入社し、こんな会社があるのか! と熱中し、あっという間に過ぎた10年でした

事業化プロジェクトリーダー 

岩島 光太郎

住友スリーエム10年在籍。 開発の自由を

味わうとともに、厳しい営業数値の世界でも、お客様の課題をご一緒に解決することで達成できることを味わい、楽しい時代を過ごしました。

 まさに個人の創造の自由と組織の強みの2つ

を併せ持った会社でした。

未来を信じて野性を放ったあの時代の

仕事の面白さと、今も大切にすべき

勝つ原則を、今のデジタル時代にも

通じるスキルとして伝えられたらと思います。

 

 

 


2.経営コンサルタントとして企業と伴走。                     新事業開発プロジェクトのご支援と社内企業家教育に日々を費やしました

以後㈱マネジメントデザイン設立、経営コンサルタントとして30年。

大手企業・中堅企業様に対し新規事業開発支援、教育研修指導キャリアを積みました。

独立直後の時は、無名でも新しいことには人は挑戦を渋り、失敗も多い。

失うもののない自分だから、失敗を恐れる人々

の失敗しかけの事業を引き受ければ仕事になる。多くの新規事業部に直接連絡し、幸いに多くの

プロジェクトをいただき、それなりの成果も出せました。退路を断ったからでしょう。

また自治体様に対しても、地域戦略立案研修、新事業企画実践を指導。これもK市の地域開発に関わった縁から、自治研修所東北6県の市町村の企画職への研修指導へとつながっていきました。

 

以後㈱マネジメントデザイン設立、経営コンサルタントとして30年。

大手企業・中堅企業に対し新規事業開発支援、教育研修指導キャリアを積みました。

また自治体に対して、地域戦略立案研修、新事業企画実践を指導。

 当時は、日本も経済成長後期に差し掛かっていました。                  しかしながら、デジタル化以前の日本企業は、まだまだ

新商品開発や、 事業化後の市場拡張に余念がありませんでした。

会社設立当初は3M社に学んだ「売る仕組みづりの指導」と

「新商品開発の指導」で自分のポジションを確保できました。

事業化調査も各社の未知の部分であり、新規事業部の探索プロジェクトも

多く引き受けました。

バブル崩壊前後には、投資縮小に危機感を抱くメーカーからの指導依頼が相次ぎました。

金融機関等を通じての独自の設計による「社内企業家教育プロジェクト」依頼が多く、

約5年の期間10社のプロジェクト支援を致しました。

3.【ベンチャー育成へのハンズオン支援ロジェクト】               自治体や、投融資機関と共に企業家揺籃期を手助け。

いよいよ停滞の30年が始まりました。

大手企業とのイノベーター育成プロジェクトのノウハウも

せっかく身に着けたのに、NDA契約によるもので公開もできません。

また気になっていたイノベーション100年企業3Mの経営戦略について

最新のものについても、もっと学び整備しなければなりませんでした。

ノウハウを整理し終わり、旗を掲げるには10年かかるなと思いました。

 

今こそべンチャー支援に乗り出すべき時と思い、その時横浜市経済局の産業振興公社が

公募していた「上場支援ハンズオン支援プロジェクト」に応募しました。

 

後に名称を変更した横浜市経営支援財団にて

ベンチャー上場支援プロジェクト・マネージャーを拝命し

中小・中堅企業ハンズオン支援活動に従事。企画力と投資育成業務に優れた、

若いサブマネージャーとともに、自治体・投融資機関との総合支援チームを組成し

任期内には新興市場に3社を上場しました。

 

それより記憶に残るのが、任期最後にベンチャーコンテストに駆け込んできたT氏のことです。

プレゼンテーションを本業としてきた私など吹き飛ぶような彼のプランとプランの凄さに

タダならぬ才能を感じましたが、彫刻家ロダンのような天才はなかな受け入れられないなと

感じた私は、彼がコンテスト2位の訳がない理由を選定委員に説得しグランプリ優勝者としました。

 

その後、まだ自分の鉱脈を見つけられずにいた彼を支えましたが、

今彼を慕って集まった仲間とで、独自の人材獲得と教育システムの開発により、10年で売り上げ

1300億円、営業利益135億円、 従業員1300人(2025年8月期) という規模に成長させた、誰もが知る上場企業S社の総帥として活躍しています。

シード期のベンチャー支援はいろいろ行いましたが、彼のような時代を変える確信に満ちた逸材に

出会え、揺籃期の彼を支えられたことは、それは何よりも誇れる幸せなことでした。

このプロジェクト目標が達成できた要因

 

1.3人のメンバー全員が異なる専門能力を活かしきれたこと。  

2.経済局はじめ、各部局市職員の支援を頂いたこと。   

3.横浜市・神奈川県・東京都の投融資機関の協力を得たこと。

4.ハンズオン支援施設、セミナーイベント等に市保有施設を

 存分に活用できたこと。

5.市内各先輩企業の協力を得、熱気溢れるVBたちに会えたこと。

■これから5年の私たちの活動は

ここまで述べたことは、住友スリーエム社での業務実績をもとに、経営コンサルティング企業において 企業支援実績を積み、株式会社マネジメントデザインを設立して後の仕事です。。

上に挙げた事例の企業様や自治体様の新規事業プロジェクトの開発運営、社内企業家育成 研修などの多くはマネジメントデザイン社の受託実績です。

 

今後は、「一社法人ナレッジデザイン」内「イノベーション研究所」プロジェクトリーダーとして、「残すべき不変のイノベーション原則と新たな時代感覚の融合」を新たコンセプトとして活動いたします。

まずは、蓄積された実戦的ノウハウを、若い方々に役立つスキルアップ・コンテンツとして、ご提供してまいります。ご期待ください。 岩島 光太郎